10/20の日記の続きを。
ブルデューの「文化的再生産」とは、「特定の学校には特定の社会階層の生徒しか入学できず、そしてその社会階層に属するための教育を行う。そのため、その卒業生はその特定の社会階層に所属し、その子供は同じように特定の学校に入学する、という形で社会階層が維持される」ということである。 具体的には、知識階級の家庭の子供は、家でそのような知識階級の子弟としての教育を受けるため、入学試験で知識階級の子供たちが集まる学校に入学しやすくなる。 日本の入試を考えると想像つかないのだが、欧米では入学試験は口述や筆記が多く、知識階級の学生が集まる学校に合格するには、生まれついての家庭での教育環境が大きく子供に影響を与えるそうである。 確かに、家で「ちきしょー、またパチスロ北斗の拳で1万円すっちったよ!BIGが1回で終わるなんてありえね~」なんてことをよく話している親の子供と、「ハリケーン”カトリーナ”がアメリカを襲ったとき、ヒューストン市民は暴徒化したけど、日本の阪神淡路大震災では市民は暴徒化せず、協力しあって街を復興した。この違いはどこからきたんだろう?」なんてことをよく話す親の子供に小論文を書かせたら、差が出そうな気がする。 そういう知識的なものでなくても、欧米の知識階級では比較的”正確な”文法で家族は会話を交わすのに対し、そうでない階層の家庭ではスラングなどを多用したりすることが、入試での文法試験に影響を及ぼすなど、様々な要因が考えられるらしい。 で、さらに学校で知識階級たるべく教育を受けるため、社会に出ても知識階級に属する可能性が高くなり、そしてまた同じようなことが繰り返される、ということが起こるみたいである。これが「社会的再生産」であるといわれている。 この現象の問題点は、社会的に下層にいる人々が上層階級に行きたいと思っても、自分の努力だけではどうにもならないということである。 生まれた家庭環境が合否に強く影響するとしたら、それは個人の努力の範疇を超えてるからね。このことは、欧米の教育問題を語る上でトピックとしてよく挙げられるらしい。 ちなみに日本ではこのような社会的再生産がないかというと、欧米諸国とは形態は違うけど、やっぱり存在するんじゃないの、っていうのが苅谷剛彦氏の説に述べられている。 医学部っていうのは、 「私立は学費が高く、親が医師であるなどの高額所得家庭の子息でなければ卒業は難しい」 「学生を医学の専門知識漬けにし、卒業生のほとんどが医師になる」 ってことから、医師の家庭からは未来の医師が輩出されるというような「社会的再生産」がおきているんじゃないかな、と思う。 感覚的にだけど、両親か親族の誰かが医者である家庭の子息が比較的多く入学している気がするし。正確なところは統計をとってないからわからないけどね。
by ishikawasss206
| 2005-10-26 20:50
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